大河ドラマ「麒麟がくる」の影響で、明智光秀が取り上げられることが多いですね。まいまい京都のアプリ「まいまいポケット」に明智光秀の最期の地である「小栗栖」を散策するプランがあったので、さっそく試してみました。明智藪へ行くには、地下鉄東西線の「石田駅」が最寄りの駅です。
まいまいポケットがあると、一人でも歴史散策が楽しめてとても楽しいですよ。
明智光秀の最期 明智藪への行き方
明智光秀は本能寺の変で主君である織田信長を討った、戦国時代の武将です。
天下をとったその後すぐに、秀吉に天王山の戦いで破れてしまいます。
坂本へ逃げる途中に、最期を迎えた場所が小栗栖です。
まいまいポケットをガイドに小栗栖へ訪れてみました。
明智藪へ行くには、地下鉄東西線の「石田駅」が最寄りの駅となります。
石田駅は、京都の市内からだと、醍醐駅の次です。
東西線の最期の駅、六地蔵の一つ手前です。
烏丸御池
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京都市役所前
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三条京阪
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東山
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蹴上(けあげ)
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御陵(みささぎ)
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山科(やましな)
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東野(ひがしの)
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椥辻(なぎつじ)
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小野(おの)
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醍醐(だいご)
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石田(いしだ)←ココ
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六地蔵(ろくじぞう)
烏丸御池からだと22分で石田駅まで到着します。
案外早く行けますよ。
石田駅2番出口から、明智藪まで歩いて15分くらい。
ちょうど良いお散歩になります。
石田駅から、山科川の方に向かってください。
駅を出て最初の方向がわからないと、なかなか進みませんよね。
まずは川が目印です!
明智藪への道は地図を参考にしてください。
大河ドラマのブームで、控えめではありますが、随所にのぼりを見ることができました。
あまり迷うところはないと思います。
明智光秀の最期 明智藪の見どころ
私は今回、まいまい京都のアプリ「まいまいポケット」の、「【小栗栖】明智光秀・最期の謎!歴史研究者とたどる、戦国時代の小栗栖」という回をダウンロードして散策することにしました。
地図と連動しているので、ガイドを聞くポイントもわかるようになっています。
ガイドさんは、谷口拓さん。醍醐・小栗栖地域の歴史研究者さんです。
マニアックなコースなので、ガイドがあるととても理解が深まって楽しいです。
石田駅を出発し、まずは山科川にかかる橋の真ん中で山に向かってガイドを聞きました。
ざっくりとした地形を説明され、山の向こう側に光秀が本当は行きたかったとされる坂本城があるということで、もう気分は戦国時代になってきました。
土地勘があると、余計に話にひきこまれますね。次が楽しみです。
↑小栗栖城跡。
途中で、小栗栖城跡が紹介され、なんとなく当時の村の雰囲気を想像することができました。
地形を生かした山城で、村の横にお城があったようで、小栗栖の地域は飯田氏が支配していたとのこと。
諸説あるようですが、飯田氏によって光秀は討たれたのではないかという説もあるようです。
こちらが明智藪です。天正16年6月13日に明智越からふもとに下りてきたこの藪の中で、落ち武者狩りの百姓によって討たれたと言われています。
こちらの絵にあるような感じですね。
この後、勧修寺にて首が見つかったと言われています。
この日は竹林が焼かれていて、炭のいい香りがしていました。
ちょっと不気味な雰囲気。
明智藪に来る前は、光秀は明智越とよばれる道なき道を越えてきたようです。
本能寺の変の後、山崎の地で秀吉との戦に負け、この道を通って小栗栖にやってきたと考えられています。
↑明智越
まさか峠の麓で命を落とすとは思っていなかったでしょうね。
明智越からは、小栗栖の村がよく見えたのでしょうか。。
実際にこの土地でそのようなことが起こったと思うと、ちょっとドキドキしました。
明智藪に行く手前には、小栗栖天満宮があります。
うっそうとしている藪の中。
このあたりもきっと、光秀は通ったのでしょうね。
さいごに
まいまいポケットのガイドで、小栗栖に行ってきました。
明智光秀の最期の地である小栗栖に思いをはせながら、明智越に寄った後、明智藪まで行ってきました。
坂道もあり少々大変なのですが、ガイドのおかげで楽しい歴史散策ができました。
ポイントポイントで解説が入るので、理解も深まり、実際にその地で聞くので興味が広がります。おすすめです!